最後の船頭 大熊徳治郎翁聞書き



.凡例
1 「最後の船頭 大熊徳治郎翁聞書き」は、菅の渡しで最後まで船頭をつとめた、故大熊徳治郎氏への聞き取り調査の録音を翻字したものである。
 調査は平成4年5月、多摩区菅北浦にある薬師堂の堂内で実施された。聞き取りにあたったのは、渋谷卓男、高橋典子氏(川崎市市民ミュージアム学芸員)、中村亮雄氏(川崎市市民ミュージアム資料収集委員 当時)である。
 話は、内容によって配列しなおした。題名もすべて編集段階で付したものである。
 調査員の発言は、−によって示した。
 録音のテープ起こしは、宇野田綾子が行なった。
 図版は、船頭小屋の移築にともなう調査時に撮影されたものである。
2 聞き取りの内容には、人権擁護上不適切な表現が含まれている。しかしながら、話者の語り口を重視する本書の立場から、そのままとした。

.はじめに
 多摩川の菅の渡しは、川崎と調布とを結んでいた。延宝元年(1673)にはじまり、近世期には上菅と下石原を結ぶ「上菅の渡し」だけだったが、明治期に下菅と上布田を結ぶ「下菅の渡し」が開かれた。その後、昭和11年(1936)の多摩川原橋の竣工により両者は廃され、新たに京王多摩川と稲田堤を結ぶ観光道路の位置に「菅の渡し」が設けられた。日本民家園に移築された船頭小屋は、昭和4年(1929)に下菅の渡しで建てられ、昭和11年以降も菅の渡しで使われていたものである。
 大熊徳治郎氏は、下菅の渡しで船頭をはじめ、その後、菅の渡しが昭和48年(1973)に廃止されるまでこの仕事に従事していた。これは、この最後の船頭の経験談である。
 *大熊徳治郎氏は平成16年に亡くなった。心よりご冥福をお祈りしたい。

.1 渡船場
.. 船頭
−大熊さんは何年生まれでいらっしゃるんですか?
 明治45年です。ちょうど83になりました。
−何歳のときから渡船の方を?
 渡船は、もう小学校卒業するとすぐ。16か17くらい。そのころはね、渡船場っていうと、泊まりに行かなきゃなんなかったですね。
−あの小屋で?
 あの小屋で。
−おひとりで寝てらっしゃるんですか?
 そうです。
−お父様の代から船頭さんをなさってたんですか?
 そうですね、おじいさんの代ですね。私たちの子供のときにはほとんど、河原へ行って水浴びとか、船漕ぎとか、そんなことを年中やってたんですよ。
−では、なさってたときは何人ぐらいで?Sさんとか、Hさんも同じときになさってたんですか?
 そうですね、Sさんはやってませんでしたね。Hさんは一緒にやってたんですね。48年前ですか。私よりちょうど10違うんですけどね。なかなか元気な人でね。私もあの人の歳になって、よくあの人、この歳になってやってたな、と。元気だったんですね。

.. 渡船場
−渡船場のこっち側にいらっしゃるでしょう?
 むこう側で3時ごろ、肥積んでいた車がおおいって呼ぶ。そしたらむこうまで行って。
−むこうに船頭小屋はなかったんですか?
 むこう側にはないですね。西河原の方はあったんですよ。西河原で5人、菅の方で5人泊まって、こういう、矢野口の渡しって。
−じゃあ、菅の、下菅の渡しはこっち側だけで。
 そうですね。
−何人ぐらいで?
 やっぱり、はじめは6人くらいだったんです。矢野口の橋が出来て、船頭は1つにしろって、上下合同で一緒にやるようになったんですね。それがちょうど昭和10年ですか。橋の出来たときなんですね。
−この渡船っていうのはいつぐらいまでだったんですか?
 昭和48年までですね。一番後までやってて、残ってるのは私1人になっちゃって。みんなもう亡くなっちゃって。これは野戸呂と稲田堤との境で、ちょうど上菅下菅との境ですね。

.. 渡船小屋
 渡船小屋のこういうようなのが民家園に残ってますけどね。あれは作りかえたやつでもって、昔は高いです、タチマイが。あの、屋根のあれがあそこにある段ぐらいの高さなんです、屋根の高さが。
 で、軽く出来てたんですよね、屋根が杉っ皮でもってね。で、四本柱で。その四本柱のあいだにこのぐらいの金具がついてて、その金具に棒をさして、それでもって大水のときにはそれを上にかつげるようになってたんですね。だから、水が急に増えちゃったときにはね、しょうがないから、あの、船の上にそれを乗せて、それでもって船で行ったんです。
 だから、あんまり大きくしないで、幅は6尺くらいあるんだけどね。ちょうど1坪なんだけど。で、そうですね、高さはどんくらいだったかね。
 そこに寝泊りしてんですよ、私たちは。

.. 魔物
 昔っから、金縛りにあうからね、その、魔物が来るから必ず枕元に鉈を置いてとけって、言われてたんです。
 枕だってね、こんくらいの、このくらいの長さの木の、こう、木枕だったんです。木をこう削った枕だったんです。それを持っていたら、そしたら、気がついたら全然動かない。気がついたなと思ったんだけど、全然身動きとれないですね。で、もがけばもがくほど、気だけもがいて全然動けない。じゃ、魔物が来たんだ、魔物に呪われたんだなと思ったんです。そしたら、ドタンという音したんですね、下へ降りてね。そしたら、からだ自由になったけどね。たしか、何かいたんですね。これが何だか知らないけどね、屋根から押さえつけられたんですね。だからね、必ず枕元にね、刃物を持ってればいいっていう。その刃物、持てったって持てやしない。
−その魔物っていうのはどんなものと考えられていたんですか?
 魔物、魔物って言うからね。どんなものが魔物だかわかんないんだけどね。よく、ほら、亡くなった人に今でもあれでしょ、枕元へ包丁置くとか、短刀置くとかなんて言いますね。ああいうような、魔がさすっていうか、そんなあれじゃないですかね。
 動物、たしかに動物ののっていたのを私が体験したのは事実ですね。猫のってたか、あるいは狐でものってたか。何かのっていたというか、その、屋根でガサガサっと音がして、どしんと降りた音は聞いたんですよ。だけど、その動物、何だか見えやしないですね。

.. 土左衛門
−水死した人が魔になって来るとか、そういうことではないんですか?
 そうじゃないですね。
 昔は水死体が川で沈むとね、むこう側は調布で、こっち側は川崎でしょう。そうすっと、もうちょっと先やれば調布の方だからって言って。土左衛門は嫌っていたからね、むこうへやりっこしてたんですよ。船っていうのは、とてもその、水死体やなんか嫌うんですよ。だから、決して船の上乗せなかったですね。
 調布の方にちょうどその時分、なんて言うんですか、暴力団みたいなのがいてね。そいで水死体を上げるというと、その、亡くなった家からいろんな礼やなんか持って来るでしょ、世話になったって。それが欲しくて、みんな引っ張り上げてくれたからね。水死人が出来たら、こっち側のものでも何でも引っ張ってって、そっち持って行って、引っ張り上げてくれたけど。
−何で船の上に乗せないんですか?
 うん。船の上は、もしどうしても上げなきゃしょうがないようになってきたらね、船でもって、こう死体を引っ張って、それで持ち上げる。船っていうのは一般の人は乗せるけど、死体は本当に嫌ですね。乗せるというと、あと浄めなきゃいけないでしょ。
 だいたい、船で上げるっていうのは、船の艫っていわれる一番尾の方ですね。尾の方でもって、こうやって持って来る。1人引っ張って、1人は漕いで来る。
−よく男の人と女の人と死に方が違うっていいますね?
 ええ、実際そうですね。男の人は下を向いて、女の人は上を向いてますね、あれは。だけどたしかねえ、アオになれ、アオになれっていって、あおむけになると沈まないんですよね。

.. 溺れた人が生きかえる
 あの、渡船場でもって1回溺れて亡くなった人がね、3時間くらい後に助けられた珍しい話があるんですがね。
 これは小塚さんが書かれて*、どっかになんか、カワウソのいたずらだろうなんて。実際に、それ私の体験したことでね。怪談だなんて、こんなところに小説めいて書いてあるんですがね。これ事実ね、時間は違うんですよね。これ7時ごろとかって書いてるんですが、これは3時ごろなんです、3時ごろ。
 川へ行ってね、そいで、コンクリの上でもってすべり落ちちゃったんですね。そこの下っかわが深いところでね。で、その人泳ぎができないから、こう、川へ入っちまえば死んじまうもんだってね、観念して入った。そしたら、それがもう暗くなってですね、多摩川の浅瀬へ、水の流れで今度は浅瀬になって、それで足、底の砂利にぶつかったって。肝つぶしてね、立った。そしたら立てたって。立ってしばらくたってから、こっちでもって私が声をかけた。そしたら、助けてくれってんですね。そして、仲間のOさんて人が「俺、行ってくる」って言ってね、行ったところが、その、全くもう泳ぎなんて駄目で、その人。新宿1丁目の人なんです。ガタガタガタガタ震えてて、その人。
 それでもって、なかなかこっち漕いで来ないんですね。それでもって行ったところ、「火を燃やしてくれ、燃やしてくれ」って言うから、火をかっかと燃やして。それでもってつれて来たところ、ガタガタガタガタ震えちゃってて、その人。夜盲だからって船頭さんにかじりついちゃって、船頭さんも動き取れないんですよ、かなり度胸のある人だけど震えちゃってて。で、火を焚いてやって、それでもって火を燃やしてやってたもんだから、その、助けてもらって神様だ仏様だ、なんつって喜んで。
 3時間以上。心臓麻痺とか、また水に溺れたとかっていうのは、たいがい亡くなっちまうんですけどね、助かったんですね。なかなか小説めいた方がいたんだけどね。
−季節はいつごろだったんですか?
 戦争中なんです。夏ですね、夏でもってね。あの、この人は昔、卵の、ほら、取引をしていて。それで卵はあれでしょ、ヤミ取引になってたもんですからね。それがばれたから、その、矢野口にその仕入先があって、そこに断ってきたらしいんです。こういうわけで、手が入ったからっていうわけでね。で、そんときは卵買わずに。それでもって、そこのうちに泊まるか湯河原に泊まるって、そこに来たらしいんですね。
 そしたら、多摩川へ来たところが、あんまり暑いんでもってね。みんな水浴びしてたんで。そいでもって、その、茶店でお茶を飲んでたの。お茶を飲んでたら、そしたらね、その川っぺりに来て裸になって、顔でも洗うつもりで行ったところが、コンクリの上だから苔が生えてて、すうっとすべり落ちちゃったらしいんです。それで底が深いからね、こりゃまあ、死んじまうもんだと思って諦めていたらしいのね。そしたところが助かって、「おーいどうした」っていう声が聞こえたから、助けてくれって言った。それでもってね、助けに行ったってわけなんですがね。
 だから、こっち来てその、「衣類を脱いだのはどの辺だ?」つったら、「私、行かなくちゃわからない」って、その人について行ったんですよ。ところが、なかなか見つからないんでね。目、見えない。暗いでしょ。だから、こっちでもって明かりを持って行ったんですけど、なかなか見つからなくって。ようやく見つかったら、その、そこからまあ、距離は150メートルぐらいしか、渡船場の上じゃなかったんですよ。そこ行って探したり、それを持ってこっちへ来るまでがなかなか時間がかかって、それであれですよね、10時ごろまでかかっちゃったんですよね。
 着物着て、気持ち良くなったからって。で、「新宿までだって?大変だね」って言ったら、「帰らね」って、「泊めてくれ」って言うんです。「旅館がねえか」って言うから、「旅館なんてない、じゃあ、うち泊まってけ」つって、そいでOさんのうち、一晩泊まったわけなんです。
 ところが、まあ、たいがい多摩川で助かった人は、ありがとうございましたっていうのは滅多にないんだけどね。まあ、そこのうち世話になって、あれですねえ、夕飯や朝飯食べて行ったんだけど、それきりもって、音沙汰なしだったけどね。新宿1丁目っていうと、ちょうど新宿御苑の正門のところ、下へ降りていって市ヶ谷谷町っていう方へ下りる。そこにあの、茶店のような店があったんですね。そこの主人だったらしいんですよ。だから様子もよく知ってるんだけどね。とうとうそれっきり顔出ししなかったけど、どうされたんだかね。
−川で溺れる人は多かったんですか?
 多かったんですよね。これんとこにも書いてあるけどねえ、私たちは何10人て助けてきたけど、助けてもその、川のシモリっていうか、なんというかねえ。川にたずさわっている人は、溺れた人を助けるのが普通だっていうんでもってね、表彰なんてことは一度もしてもらったことがない。たいがいね、助けても、その、帰りはもう、きまりが悪いっていうかなんというかね、黙って帰っちまう人が多いんです。
*小塚信一編『菅渡船場回顧録』川崎市多摩区菅町会 1974

.. 川で溺れる(1)
 私たち、子供4人いてね、大人が1人混じっていたのを助けたことあるけどね。
 ちょうど上からずっと、大水でもって二瀬になって、むこうの川が狭くて、子供が泳ぐのにちょうどいい加減だったんですよ。ところが、瀬が早いんですよ。そしたら、むこうから夫婦で来て、子供4人連れて来たんですね。
 そしたら子供を、まあ早く楽しませるために、さき子供を裸にして、そして川へ入れ始めたのをこっちで見てて、「危ない、危ない」って。その瀬の下側も砂利穴でもって、背が立たないようなとこだったんで、「危ない、危ない」って、こっちで怒鳴ったんですね。ところが入っちゃったからしょうがないって、こっちで2人でもって馬船の、漁船なら軽いんですけど、馬船っていう大きいやつだったから、それで2人で漕いで行ったところ、もう入っちゃったんです、深いところ。
 そいで、バタバタはじめたから、「あおむけになれ、あおむけになれ」って言ったんです。「あおむいて大の字になれ、大の字になれ」って言ったんです。それでも子供たちに通じたんですね。で、こういうふうになって。1人だけ中へ入っちゃったんですけど、それはそれ、先に上げろってわけで、船の上でもって手分けして引っ張り上げたんです。あおむけになってたもんだから、引っ張り上げられたみたいなもんだけどね。1人は下へもぐってたけど、やっぱりあおむけになってたからね、下まで沈まなかったんです。だから、それ引っ張り上げてやって、船のモグリっていう端の方にね、やって。ドンドンと背中たたいてやったら、水吐いたから。そしたら親が、今度、裸になって来て、やっぱりアップアップはじめちゃって。
 そいで、「どちらから来たんですか?」って言ったら、「いや、私の子じゃありません」って。一生懸命ひた隠しに隠しているんですよ。こっちでもって助けたからって、礼を欲しくてやったんじゃねえから、「そうか」って言って放してやったんだけど。ああ助かったと思うと、なんていうか、恥ずかしいっていうか、なんていうかね。
 助けてもらったお礼って、なかったですね。助かってしまえば、もうそうなんですけどね。

.. 川で溺れる(2)
 それで、その前にはやっぱり深いところでもって、夫婦と子供で来てね、むこうの調布の方から来て。そこはもう深いんですよね。場所、深いところでもって。
 そのおやじさんが深いと知ってか、なんていうんですか、それこそ体も何も濡らさないでズボーンと入っていっちゃったんです。入ったままになっちゃったんです。そしたら、かみさんが悔しがって、「なぜうちのお父さんが入ったんだ、助けてくれなかったんだ」って言うんですね。
−心臓麻痺ですね?
 心臓麻痺だったんです。だって助けてくれっていうんならねえ、助けるけど、だってそのまま入っちゃったんじゃ助けようがねえって言ったんだけど。人間っていうのは勝手なもんだと思って。助かんなきゃ人を恨んで、助かってみたらやっぱり人を恨んで。ありがたいって思わないんだね、なかなか。

.. 川で溺れる(3)
 何人ぐらい助けたか知んないけど、気の毒なものもありましたね。
 女学生が4人ばかり泳いできて、どれもみんな泳げなかったんですね。そうしたところが、危ないなーと思ったら、泳げないのにやっぱり瀬に流されながら来て、深み、入っちゃって。「危ない、危ない」って言ったところ、その4人が、ほら、助かりたい一心でかじりついちゃったんですね。かじりついちゃったまま、死んじゃってね。

.. 川で溺れる(4)
 押立で亡くなった人は、とうとう全然、見つからなかったね。
 押立で大水でもってね、流れたってことがある。うちの方は川下だから、土左衛門が流れて来なかったかっていうんだよね。また、大きい水だったんですよ。で、薪を。昔は燃料をとるのに、多摩川へ行って流木をとるんですよ。流木をとりに行って、それで引き込まれちゃったらしいんですね。で、どうしても見つかんないからっていって。石にでも引っかかったんでしょうけど、とうとう上がんなかったね。
−どうしても上がらないときのお葬式はどういうふうにするんですか?
 どうされたかね。やっぱりお葬式は出せないそうですね、死亡診断が出ないから。
−行方不明のままですね。
 そうですね。でも、1年以上たってからお葬式やったっていうけど。
 兄弟2人いてね、それでもって、兄さんの方が引き込まれちゃったそうですね。棹の先に鎌つけてね、これで引っかけるんだって。そしたら、そのまま引き込まれちゃって。だから、棹を放しゃよかったんだけど、人間の欲でもって。弟さんはそばで見てたらしいからね、「危ねえ、危ねえ」って言って。それで引き込まれちゃったっていうんです。そいで、騒いだらしいんです。

.. 水死人を探す
−水死人が出るでしょ、土左衛門が。なかなか見つからないと、そういうときに探す方法があるんですか?
 よくチャボというね、小さな鳥を船に乗せて、土左衛門がいるところに行くと鳴くっていうね。そんなことやったこともあるけど、なかなか。

.. 下肥を汲みに行く
 夜中だってね、昔はコヤシって下肥、遠くに取りに行ってたでしょ。まあ、あの当時はだね、肥料はなかったから、このへんから、みんな代田橋、遠くは牛込あたりまで行ったんですね。そういう人がガラガラガラガラ……。一番遠いとこだと3時でしょ。3時にはあそこ、もう来てたんですね。
 で、こういう水のないときはね、桟橋から船入れるけどね、大水のときなんか、かなり越してかないと。川の中を越していって、そしてふって上げないとなんないんだから大変だったんですよ。
−越していくっていうのは、あの
 川の中をバシャバシャ渡って行かないと、船が下ついちまうでしょう。底つかないところまで大勢で行って、車持って、(不明)持ってね。下ろすところだってね、船ガリガリとつけて、そこで。それだもんで、やっぱり東京から汲んでくるとね、減っちまうんです。それで水を足すんです。
 そいで、行きがけはあれでしょ。なんとか弁当代だって、車の下にワラ入れて、ワラを積んでワラを持っていって、それでなんとか弁当代だったんですね。

.. 梨を売りに行く
 梨やなんかはまた、反対にあれですね。梨のはじまる時分にはこっちを3時ごろ積んで、神田へ持って来る。神田の市場まで運んだんですね。それで朝帰って来るんですね。
 いま梨箱でしょ。昔はみんな梨の籠だったんですね。いま、パークにまだありますけどね。あれにみんな山印つけとくんですよ、ヤマダイならヤマダイとかっていう。みんな、籠に書いておくんですよ。書いた籠をもらって、それでこっち帰って来るわけですよ。それで、むこうでもって泊まって、それで朝、こっちまた帰ってくると、もうパックした荷物が出来てるわけなんです。また、それ積んでいく。
 だから、河原が大水だなんていうと大変だったんですよ。梨やなんかだともう2人、1台の車に2人くらいは後押しがついてくる。河原でもって渡船場を渡って、烏山に金子っていうところですか、調布ですね、あそこは。そこまで押しやって、それで帰って来る。昔はアトシタなんて言われて大変だった。

.. 願掛けに通う
 このAっていう人、この人こないだ来たけどね。この人はもう91歳なんだけど。
 この人の娘さんがね、2人とも目が悪くて。どこの医者に行っても見放されちゃって、神仏に頼るしかないって。それで、薬師様*信仰して、それで目が治って。娘さんったって、もう50過ぎてますけどね。やっぱりもう、子孫もいるようなあれでもって。この人、渡船場わたって、よく来てたんですね。調布の方の人なんです。
*多摩区菅北浦にある薬師堂のこと

.2 多摩川
.. 流木拾い
−大水のあとの流木拾いっていうのは、たくさん人が出たんですか?
 そうですね。だからね、いい材料だって、あれは本当は届けなきゃいけないんだけどね。だけど、番をしていると、自分で上げといて、あー悔しいなんて。暗いうち上げといて、朝になってリヤカーとって来て取りに行こうなんていくと、もっと早いのがいて、人が上げたのを持って行っちゃうからね。
−これはうちのもんだって印をつけるような、そういう習慣はなかったんですか?
 それはやっぱり、あれですね。流木でもって、人のものやって背負うものだから、下手やるものだから、警察の方がね。
 やっぱり大きい材料やなんかはね、ちゃんと焼印が押してあるんですけどね。こんな大きいモミの木が流れてきて、何本も何本も、2メートルぐらいに切ったのが流れてきたことがあったけど、ちゃんとそれにも焼印、打ってあったんです。そういうの。

.. ゲバチ
 川の魚はね、いろんな、昔のあれがいなくなっちゃったのは事実だけどね。私たちは川の魚の名前を知らないけど、アブラボタンとか、いろんな名前を自分たちでつけたりなんかして、それでもって。
 だけどそういう魚は一番先に……。ゲバチとか。ゲバチっていうのはギシギシとかいうんだけどね。こんぐらいの魚で、刺のある。あれが一番先にいなくなったですね。あれ、進駐軍が来て汚水を流し始めてから一番先にいなくなったですね。
−なんかつかむと痛いんですよね?
 痛いですよ。よく釣れるんですよ、また。川の大水の後にミミズやなんかでやると、すぐかかるんです。これ、よく肺病の薬になるなんて言ってね。
 終戦後、進駐軍が入ってからね、やっぱり「この辺でギシギシいないか」って言うから、「ギシギシとは何だ」ってよく聞いたら、ゲバチっていう魚なんですね。それで、大水の後にミミズ持ってくればいくらでも釣れるって言ったんですね。そしたら、その人が来て「何も釣れない」って言うから、こっちでやってみたら全然釣れないんですよ。だから、あれが一番きれいなところにいたんでしょうね。
 あれとか、カジカって言ったね、ダボハゼのようなやつね。あれが一番先にいなくなりましたね。

.. ナマズ
 中野島のSちゃんっていう人がいて、その人がなかなかの漁師なんだけど。
 うちの親父が船頭でもって、むこうに行ったら、あそこにナマズ船出てて、「帰りに突いてくから、静かに行ってくれ」って言うんだけど、ナマズ船なんてって、うちの親父知らん顔してたら、そしたら(不明)から飛び乗って、そしたらなるほど、ナマズってゴサイナマズだった。ゴサイナマズって、こんな大きいんですよね。それを突いたっていうから。
 昔はそのくらい、よく住んでたんですよね。

.. 多摩川の水
 福昌寺のお坊さんが、なかなかえらい坊さんだったらしいのよ。お茶をくむのに、小坊主に「お茶の水を多摩川からくんで来い」つって、「北側の水でなくっちゃいけない」って言うの。北側の水を持ってくらしいんですよ。そいで、南側の水でいいだろうって南側の水を持って行ったら、沸かすが早いが飲まないんですよ。「これは、南側の水だろう」なんて見破った。
−北側だと、立川の方ですか?
 調布の方。
−東京側ですね。やっぱり渡しで渡って?
 そうですね。さもなければ、越して行くんです。
 それはやっぱり小河内の水が……。多摩湖ですね。あの水が多摩川をずーっと来ていて、北側を流れて来るっていうんですよ。こっち側はほら、いろんな、五日市だとか高尾山の方から流れ出して来るでしょ。ああいうのが南側を流れて来るからね。一番北側を流れてくるのが小河内だって。
 小河内でも湯があったらしいですね、鶴湯とかなんとか。それがとても効くって言ってね、私たちの子供のときには、怪我をするとね、多摩川の北側行って洗ってこいって言われたの。で、北側で傷を洗うとね、化膿しなかったですね。だから、北側の水が一番うまいんですって。福昌寺のお坊さんは、お茶を飲むのに、そこから水を。
−福昌寺の住職って、いま隠居なさってらっしゃる?
 いや、もっと前の、前の前の坊さん。

.3 狐狸
.. 狐を捕まえる
 あそこはね、昭和5年くらいから多摩川の河川工事で新橋を作ったんですがね。そのときに狐を見たんです。
 あの、その建設所の工事のときの見張り場所が出来ててね、そこに泊まって。その人は狩人で猟銃を持ってたんです。必ず仕事行くときに猟銃を持って行ったらしいんですけど、たまたまここ通ったら、その人が。川のむこうが調布なんですけどね。日活の撮影所のとこですね。昔はそこまではあれなんですが、桑畑やなんかで草ぼうぼうだった。
 猟銃を持ってこっちへきて、そしたら狐らしいっていうんで、犬うなって全然進まないんだそうです。で、進まないからね、何かと思って見たら、そしたら狐らしいっていうんで、「ほら狐らしいのが来た」と犬を押さえて。
 それでうんと近くに、そしてそれでもって、あの、撃ったらしいんですね。そしたら、こう、命中したけどね、向かってきたらしいです。ほいで、もう2発撃っちゃったから、弾詰めている暇なかったからね、鉄砲玉はなくなって。石でもって殴りかかって、2人でようやく捕まえて、押さえた。尻尾支えても下引きずるぐらいで、ようやくやっつけてやったんです。

.. 狐の提灯
 その前に私、あの、渡船場から帰りに。あのときはまだ電気通ってなかったからね。日活の撮影所もなかったもんで、暗闇だったんだけれども。むこう側から帰って、狐の提灯っていうの、はじめて見たんですよ。
 川に行ったらその話はいくらでも聞けたから、何でもなかったんだけれど。電気はほら、こっちから見るとここに後光さして見えるでしょ、ずっとね。狐の火は後光ささない。
 そしたら、あんなところに電気がついてたことねえのにな、と思ったら、そうしたらむこうにざあーっとね、電気がついた、50メートルくらい。電気がぱーっとついてくる。こりゃ、珍しいことあるもんだなって見てたの。そしたら、それがぱっと消えて。あー、こりゃ狐の火に違いないと思って。そしたら、その先また50メートルくらい、ぱーっとついたの。
 遠くにつくときは近くにいるっていうから、蹴っ飛ばせば、あの、狐どっかに行っちまうって言うがね。まあ、蹴ったってしょうがねえから、そのまますすっと帰ってきちゃたんだよ。
 そのうち、坂の下り口まで来たらね、そしたらやっぱり、そのときに消えちゃったけどね。その時分は多摩川の虫の声でもってね、夏はもう、ガチャガチャスイッチャクチャで賑やかだった。
−季節はいつごろですか?
 えー、そうですね、秋の時期でしたね。あの鉄砲を持ったのは冬だったがね。
 夏場はもう本当に賑やかだったんですね。こっち側は、あの稲田堤の方、ずっと街灯がついていたんで。イルミネーションなんだってね、5メートルおきくらいに、こう、電気ついていたことがあるんですが。だから、こっちはところどころ電気がついていたけどね、むこうは全く。
 昔の多摩川は本当に静かだったからね。良かったですよ。お花見でもって、あんな堤防に何人ぐらい行ったのかね。京王線でもって新宿から、自動車があまりない時分だから、電車が1本ですからね。屋形船はもう全部出て、あっち側なんかはもう芸者さんあげて屋形船でもって。なかなか多摩川は賑やかだったです。
−狐の提灯はときどき出たんですか?
 いやー、滅多に見ることないらしんだけどね。私はたまたまそれを見たんですけどね。
−狐の提灯が出たときにあまり話しちゃいけないとか、そういうことはなかったんですか?
 そういうことはなかったですね、ええ。
−遠くに見えても実際には近いんだって
 ええ。遠くに見えるときはね、自分の身近に狐がいるもんだってこと、聞かされていた。だけど、本当に身近にいたもんだかどうかは、わかんなかったけどね。
−やっぱり増えたり、減ったりするんですか?
 うん。あの、そりゃ行ってる場所にぱーっとついちまうもんですね。それが、消えてみりゃねえ。あの、ずっと消える、ぱっと消えちまうんですね。そして、こっちでずーっとつくんですよね。つくときはいっぺんにつくんですね。とにかく、何もないところへ50メートルくらいつくから。今まで見ていたところへ何もなかったんだから。
−それは河原の方ですか?
 多摩川の方の。和泉多摩川の方のね。
−ちょうど反対側ですね
 ええ。日活の撮影所がちょうどそのへんだったですね。
−けっこうばーっと並ぶんですか?
 かなりの距離があるんだけどね、いくつついたか知らないけど、50メートルくらいはずーっとついたですね。
−狐の提灯が後光ささないっていうのは、普通の光だと、こう、四方にぱーっと
 ええ、消えてしまいますよね。
−それは?
 狐のは、本当にぽつっとした、ぼうとした感じのだから、あたりが明るいってあれじゃないですよね。
−そこだけが?
 明るいですよね。

.. 狐に化かされる(1)
 けっこう狐にだまされたっていうような話はありましたね。
 山の中に入って、油揚げいっぱい持って帰ってきた。背中にしょって帰ってきたら、そしたら、このむこうに仙谷ってところがあるんだけどね。稲荷様が3つあるところがあるんですよ。
−仙谷谷戸の?
 入口の方にね。稲田公園って、いこいの家がそこにありますけどね。現在、2つあるのかね。そこへ、仙谷へ帰る人がね、そこでまあ、狐に化かされたってことがありますね。
 西菅団地ってところがあるんですけど、あそこ、ヨシハラっていって葦の畑があったんですね。そこん中を「おお深い、おお深い」って歩いてた。こっち、道歩いていた人が「何してんだ」って。そしたら、気づいてね。そこでもって出てきたんだけど、もう、葦でもってあっちもこっちも傷だらけになって出てきた。それで、持っていたものはきれいに無かったって。
 そんな話もあるけどね。

.. 狐に化かされる(2)
 うちの親戚の人がですね、昔、養蚕をやっていた。
 蚕を持ってね、それで生田の方へ行く。今の、生田小学校ですか。あそこのところに隧道の道がまだある。狭い道があったんですけど。そこを荷車で引いて、繭をこんな大きな籠に入れて。それで荷車だから、後引けって言って、使用人の女の人、ついて行ったらしいんですけど。
 むこうでもってきれいに勘定してね、それで、帰ろうって言って帰ってきたの。そしたら、狐だろうって言うんですけどね。主人に、「主人に引かしたら悪いから、わたし引きます」って言うから、「いいよ」って言ったんだけど、「わたし引きます、引きます」って言うから、その人に任せたの。そしたら、道をずーっと脇入っちまったんですね。「そっちじゃないよ、あんた」って。それオトメさんっていう人なんだけど、「オトメさん、そっちじゃないよ、こっちだよ」って言ったら、「なあにこっちです、こっちです」って、藪の中にどんどんどんどん入っちまうんです。なんか知らないけど、あんた、梶棒の方へ行って「こっちだ、こっちだ」って引っ張っても、「そっちじゃない、そっちじゃない」って、言うこと聞かなかったらしいんです。「じゃあ、まあ、落ち着きゃわかるから」って言って、そこで休ましてね。で、「今度は私が入ってく」って言ったら、「オトメさんは車に乗ってけ」って言ったら、「まあ、そんなことは主人にやらしちゃもったいないから、それじゃあわたしは車についていく」って言って、車に縄つけて、そのまま車、引っ張って来たんだって。
 その人が、昨日は狐にだまされてって、言ってましたけどね。狐の仕業だったのかもしれないね。
−狐は蚕が好きなんですか?
 いや、そうじゃないんです。あの、生臭いもので、そういうのが好きなんだけどね。なんか持ってないかっていうんで、やったんじゃないかと思うんだけどねえ。
 山のむこう側は大迫というところで、大迫だってそんな昔のことですからね、そんな、魚やなんかありゃしなかった。

.. 化かされない方法
−狐ってずいぶんいたんですね?
 いたんですね。まあ、現在でもまだ女子大あたりにはいたし、狸もいるらしいんですけどね。うちの方じゃ、狐には化かされたけど、狸に化かされたっていうのはあんまり聞かなかったですね。
−化かされないまじないっていうのはあるんですか?
 よく煙草を吸っていくといいとか、なんかはよく聞きました。けど、昔のあれはキセルですからね。今の巻き煙草のようなのは、昔は。
 キセルってやつはですね、昔の人はなかなか器用で。片っぽ詰めて、片っぽのあれを、火種をチョンチョンと落として、こっちでもってキセルの頭へつけて、それでもって、これで火をこういうふうにやってつけちゃうんですね。ですから、ここんとこへ火がぼっと。

.. 狸
 子供つれてね、エジコの中に入っちゃったんですよ、狸の子のこんな小さい、目の開かないやつね。エジコのふたを開けると、その中に狸の子供が入れるんですね。その中に6、7匹入ったらしいんです。
 捕った人が、「あそこに狸がいて子供さがしてる」って言うからね、「どんなの」って言っていたら、そしたら狸がたしかにいたんですね。子供がキーキー鳴いてたんです。こっち見えねえからっていってエジコのふた開けてみたら、子供がいたんですね。そうしたとこ、もう2匹はすでにそこを這っていってね、マンホールの中、落ちて死んじゃってた。
 しょうがないから、可哀想だからね、マンホールのふた開けといてやろうって、マンホールのふたを狸が入るくらいの大きさに開けちゃっといたんです。そのうち、私たちが遠ざかっているうちに入ったらしいんです。で、1匹はそれで這いずり出して、子供は1匹持って行ったらしいんだけど、結局、3匹はマンホールの中に入って死んじゃっていましたね。狸は暗いところで見たら、目がぎらぎら光って怖かったですね。
 狸がだましたっていうのは、あんまり聞かないですね。仙谷だと、お寺なんかでよく現れるのは、餌を食べるとかですね。女子大でもYさんっていうのがいたんだけれども、狸がなついちゃってしょうがねえっていうんで。それで餌をやっていたら、狐がやっぱり来たって言ってましたね。

.. カワウソ
 カワウソに化かされたんだっていうことは、よく言ったけどね。だけど、カワウソっていうものがどういうものだかっていうことは……。
−化かされ方はどうなんですか?
 化かされ方はどうなんだかねえ。うーん、なんか、あれですね。川の中に立ってたとか、また、大きい動物に見えたとか、そんなことは聞いたけど。カワウソっていうのは、あんまり聞きませんでしたね。

.. 送り狼
 狼に送られたっていう話は聞いたけど。
 送り狼っていうのは、送ってきて頭を跳ぶんだそうですね。だから、そこですくむとね、喰いつかれたりとかしたらしいんだけど。
−頭の上を跳ぶわけですね?
 送って来てくれたと思って、「送り狼、送り狼」って言うけど。そうすっとうちへ着いたら、塩をなめさせるわけですよ、狼に。そうすっと帰るって言うけどね。送り狼見たってことは聞いたけど。
−びっくりしてすくむと食べられちゃうんですか?
 そうらしいですね。
−跳ばれちゃうとどうなるんですか?頭の上、跳ばれちゃうと
 私もそれは……。足に力ちゅうのはあったんでしょうけどね。
−怖いでしょうねえ。
 ええ、下手に頭の上から蹴られたりなんかするとねえ。

.. 河童
−多摩川には河童はいないんですね?
 うん、河童。
−あまり、話を聞かないですね?
 河童にさらわれるぞってことは聞いたけど、河童が実際いたっていうことは、聞かないですね。

.4 死の知らせ
.. 死者が訪れる(1)
 (ある人の)おふくろさんが納骨前に、三十五日前に、自分のうち、置いといたらしいんですね。そしたら、その亡くなった人がね、その弟さんのところに来て、その、出たっていうんで大騒ぎになって。そしたら従兄弟のうちにも出たらしいんですよね。
 そんなこと、聞きますけどね。

.. 死者が訪れる(2)
 よく身寄りが亡くなるっていうと、その身寄りの人が挨拶に戸をたたいたとか、そしたらそれが知らせでもって、あくる日、そこのうちから飛脚が来たっていうような話は聞きましたけどね。
−どういうたたき方をするんですか?
 たたくっていうか、ドンってぶつかるっていうかね。知らせですね。亡くなる前にね、ドーンって音するんですよ。私たちもね、聞いたよ。そしたら、そこのうちからやっぱり知らせ来ましたけどね。
 そういう話はよくありましたね。

.. 人魂
 人魂っていうのは、私は見たことないです。よく人魂っていうのは。
−よく人魂が出て、落ちていった方でどうだとか、そんなことは?
 そうですね、そういう話は聞いたことが……。なんか、亡くなるっていう前あたりに、そこのうちからずっと人魂が飛んで出たっていうような話は聞いたけどねえ。それ、私は見たことないんだけど。
 よく、墓地で青い火が見えたっていうのはねえ。あれはあんまりねえけど、燐が燃えるとか言ってた。

.. カラス(1)
−カラスがどっちの方角で鳴くといけないとか、そういうことは?
 よく向いた方で、葬式が出るとかね。
−鳴くときに?
 鳴いてね、鳴いた先の方で、口の方っていうんですか。頭の方で不幸があるとかね。

.. カラス(2)
 (前半なし)駄目だったから「それじゃ、酒たのむよ」って言って、酒たのみに酒屋へ電話したら、うちのも危ねえからって、駄目だったんですよ。今年90歳だったんですね、その人がやっぱり。
 じゃあ大変だからって。私はね、病院行って危篤状態だったから動かなかったんですよ。そしたら、また今朝に亡くなっちゃったからっていうんで。
 だから、今年は葬式ばかり重なっちゃったんだけど。Sさんのうちですけどねえ。
(中略)
 だから、連続でもってお葬式やったんだろうけど、Hさんの方はね、朝早くだから法泉寺の前の……。どっちも法泉寺だったんですけど、葬式の後、埋葬しちゃったんです。
 Sさんの方はね、一番しまいの火葬場だったんです。2時から3時まで待つでしょ。それからこっち来ると、2月だから日が暮れちまうでしょ。じゃあ、四十九日まで待とうって言って、四十九日まで待ったわけなんです。お骨を置いといたのね。
 うちのもやっぱり「気味悪い、気味悪い」って。子供やなんかも「いやだ、いやだ」って言ってたんですよ。そしたら、Sさんの方のおばあさんが、あっちこっち、いろいろ訪ねて歩いたらしいです。
 それで、四十九日のね、納骨しようって言った朝は、そのうちへ来て、カラスがだーって止まってた、ガアガア鳴いて。
−やっぱりカラスって、よく言いますよね?
 法泉寺なんだけどね。何年ともなしに、カラスがガアガアすごかったらしいです。そんな話をしてくれたです。
 まあ、そんな話、はじめて聞きましたけどね。

.5 その他
.. 葬式の竹
−昔、このへんで葬式すると土葬でしょ?竹をこういうふうにやりますね?
 うーん。あれは、掘られるからとか、なんとかって言いますけどね。あれはやっぱり、狼なんか掘ったのかもしれないけど。よくあれは、竹は、旗の、葬式に使う幟のそれを、こういうふうに逆さに十文字にさして、違いに置いてましたけどねえ。
−あの竹をなんて言うんですか?
 あれは、別に。竹は、お葬式には前2本と後ろ2本、旗を立てるんですけど。その旗を利用してああいうふうにやるんですけどね。別に、何て言うんですかね。
 ただ出るときに、こう、竹を割ったやつを、嫁入りのときやなんかにも使いますね。このへんでは嫁入りのときにはやっぱり、その、竹をこういうふうにやって。それでもってワラの筒を持ってね、ワラの松明を作って。それでもって嫁さんが来たときに、昔はたいがい夜だったからね、角でもって、こう、ゆわえるんですね。お葬式のときには逆に、反対に、出て行くときにそれやるんですけどね。

.. 辻ロウソク
 辻ロウソク、立てないですね。
 昔は財産家の方が亡くなるっていうと、辻のロウソク立てるとか、団子を配って歩くとか、そういう話を聞きましたけどね。

.. 長寿にあやかる
 うちあたりに、99で亡くなったおじいさんがいて、私たちも慕ってたんですがね。そのおじいさんが99過ぎで、当時は最高の歳だったらしいんですね。「あやかりたい、あやかりたい」って。ずいぶん団子やなんかも、四十九の団子だの、それもたちまち無くなっちゃったんです。
 だからなんて言ったかな。そこのおばあちゃんはね、「何かあやかりたいから茶碗でも何でも使っていたものをくれ」って言ってきたから、お椀も茶碗も、もうボロボロの茶碗だったんですけど、すごい気に入って。それが一番いいんだってね。
−大熊さんのおじいさん?
 私のおじいさんの親ですね。そしたら、そのおばあさんはですね、96まで生きられたかな。

.. 参道の真ん中
 よく神社なんかだと、真ん中は尊い人が歩くとか、神様が歩くから左側を歩け、なんてことは言いますけどね。
−左側を歩くんですか?
 ええ。昔は左側通行だったけどね。あの、新宿なんかはそうでしょ。神主が真ん中歩かないけど。

.. 天王様
 天王様はね、あれは河童、河童って言って。旧道の池のね、天王様は。
−キュウリあげないんでしょ?
 お祭の日はキュウリ、食べないんです。
−キュウリあげるとかっていうんじゃなしに?
 そういうことじゃないんですね。キュウリは一切。もう、このころは食うでしょうけどね。

.. ドウロクジン
−4人の方が同じ講中で、サエノカミの石を持ってましたね?
 そうですね。
−今でもありますか?
 今でもSさんとことTさんのとこにあったか、どうかな、2つぐらい。Uさんところにもあったんですね。
−じゃあ、Sさん、Tさん。その4人の方が分散して持っていたわけですね?
 そうですね。
−で、焼くときには1ヶ所ですか?
 そうですね。サエノカミへ持って来るんです。そいで、サエノカミで焼いてまた、それを預かって持って来るわけです。それをドウロクジン、ドウロクジンって。
−ドウロクジンですね
 道祖神でしょうね。あれをドウロクジンって。
−野戸呂のYさんっていう方、あっちから持って来たんでしょ?
 ドウロクジンはね、通り越したんです。だから一番あるのは仙谷じゃないですか。

.. 肥車
 昔はね、車を引っ張って来るとね、肥車で来ると、肥車、ずっとつながってるでしょ。そうすると、草鞋が切れるとね、草鞋捨ててっちまうわけですね。近所の人、その草鞋を拾って行って、車にこう結いつけて行って。前の人は知らないから、草鞋をつけたまんまずーっと、10足くらいぶら下げて歩いてって。
 そんな馬鹿なことをやってたんですね。

.. 肥桶に鉄屑を隠す
 フルーツパークに来ていたKさんっていうのがなかなかどうして。
 日本鋼管あたりに行くと、鉄モノがいくらも捨ててあったでしょう。そこへ行ってね、さばいて歩いていた。それで毎日毎日来るんで、「そんなにコヤシがあるか」って。「嘘だろっていうなら、開けてみろ」って。まさか上下の全部見るわけにいかないからね、上の2つか3つ見て、「じゃあ、いいよ」って。そいで、こっち来て、鉄は鉄でもって売っちゃったって。
−肥の中に沈んじゃってるんでしょうねえ?
 いや、コヤシはコヤシで別にね。樽でもって別にね。
−ずいぶんとお金になったんですね?
 4日ぐらい集めましたね。こっち来る途中に(不明)ってあるでしょ、多摩川沿いの。そこでもってこれでいっぱいだろって。
−いくつくらい?
 そうですね。4列くらい。4、50本あったんじゃないですかね。
−それは何斗樽?四斗樽ですか?
 4斗ですね。4斗は入んないけどね。

.図版キャプション
大熊徳治郎氏(撮影 昭和48年)

 

(『日本民家園収蔵品目録3 船頭小屋・蚕影山祠堂』2005 所収)