神奈川県川崎市宮前区野川 小泉家外便所民俗調査報告


.凡例
 旧所在地    神奈川県川崎市宮前区野川
 話者    小泉一郎さん 昭和5(1930)年生まれ
 調査日    令和元(2019)年11月1日
 調査者    渋谷卓男

.1 概要
 小泉家の外便所は平成13(2001)年に民家園に移築された。移築前は主屋の北東方向にあり、周囲は生垣で囲われ外から見えないようになっていた。樹種は不明だが、刈り込んでよく生垣に使われる木だったという。この建物は昭和の初めごろのものだが、外便所自体はそれ以前からあったようである。屋根は昭和10(1935)年ごろはすでにクサブキではなかった。
 一郎さんが物心ついたころは主屋にも便所があった。朝は主屋で用を足し、野良仕事の合間には外便所を使うなど、家族は両方を使い分けていた。主屋の便所は水道が通るとすぐ水洗式にしたが、外便所もくみ取り式のまま移築直前まで使っていた。ただ、使用頻度は減り、使い方としても小用がほとんどだった。
 内部は大便所と小便所に分かれていた。大便所の便器は和式で、現在民家園で取り付けてあるのが元々のものである。便つぼは直径1mほどの陶製のものだった。一方、小便所には便器がなく、下をコンクリートで固めて流しのようにしてあるだけだった。この浅い槽には小さな穴があり、大便所の便つぼに流れ込むようになっていた。
 一郎さんが子どものころ、用便後は新聞紙などでふいていた。新聞も当時は普及しておらず、取っていたのはわずかな家だけだったという。ふいた紙はそのまま便つぼに落とした。肥だめに入れておくと溶けてしまうため、肥料にする場合も問題なかった。
 出入口のそばに、手洗い用にコンクリート製の四角い天水おけが置いてあった。ボウフラがわかないよう金魚やフナが2、3匹飼われていたが、大きなおけだったため魚がいてもにおいなどはしなかった。

.2 くみ取りと肥だめ
 くみ取り式でも使うだけならそれほど臭わなかった。しかし、便は動かすと臭うため、くみ取る際は非常に臭かった。これはバキュームカーの時代になっても同じだった。ただし発酵させると性質が変わり、畑にまくころはあまり臭いはしなかった。なお、便つぼにウジがわくことはなかった。太平洋戦争後は役所の人が定期的にまわってきて、消毒のため、くみ取り口の周囲などに石灰をまいた。
 くみ取り口は裏にあり、コンクリート製のふたがしてあった。大きな重いもので、持ち手部分が凹んでいた。くみ出すときはひしゃくを使って肥おけに入れ、すぐ後ろにあった肥だめまで天びん棒で担いでいった。
 小泉家の肥だめは大きい槽が2つあった。便所の分は一郎さんのお父さんが運んだが、小泉家ではそれに加え、役所が市内で回収したものも入れていた。この運搬用のトラックにはコヤシダルが50本ぐらい積んであり、これを1本ずつ肥だめに開けてくれた。肥だめは畑のそばに作ることが多かったが、小泉家では近くまで車が入れるようにしてあり、槽の大きさも2槽の片方でトラック1台、すなわちコヤシダル約50本分入るようになっていた。肥だめが2槽あったのは、片方を使うあいだ片方を寝かせるためで、1つが空になるとまた役所に搬入を依頼した。

.3 下肥の利用
 便をコヤシにするには、便所から肥だめに移し、2、3カ月寝かせる必要があった。こうしておくと発酵して泡立ち始め、やがてかき回しても固形物のない真っ黒い水のようになる。このような状態にならないと肥料として使えなかった。
 大正のころは便が貴重で、野川でも多摩川を渡って人の多い東京までくみ取りにいった。後にはオートバイを使うようになったが、それ以前は牛車や馬車だった。この地域には馬車は少なく、牛車がほとんどだった。このように苦労して運んでくるため、コヤシには水を加え、薄めて使った。それでも効果は高く、どんな作物でも出来たという。たとえばハクサイの場合、ひとさく(注1)にヒシャク1杯をすうっとやって種をまけばそれで出来てしまった。
 稲の場合、コヤシをやるのは土を耕したあとだった。時期としては3月の暖かくなってきたころである。ホウレンソウ・コマツナ・アワなどの場合は、種をあらかじめコヤシに混ぜた。まず、おけの中にコヤシを入れ、さらにかまどの灰を入れる。量はそれぞれ半々ぐらいである。これをかき回し、ねっとりした状態になったら種を入れ、よくかき回して混ぜ込む。これをお椀のような道具ですくい、ビュッ、ビュッと畑に一列に落としていくのである。なかなか難しい仕事だった。

.4 便所と信仰
 小泉家では、正月飾りは毎年12月28日に付ける。このとき外便所にも飾りを付けた。飾りはいずれも自家製で、便所に付けるのはわらと松を使った小さなものだった。こうした飾りは1月7日まで付けておき、外した後はセエノカミ(注2)で焼いた。なお、便所にお札を貼ったり、生まれた子どもを便所にお参りさせるような習慣はなかった。

.注
 注1 畑のうね1列。
 注2 小正月行事。正月飾りを集めて燃やす。

(『うんことくらし -便所から肥やしまで-』2020 所収)